イシス編集学校・思考の型を身につける訓練を柴那典が体験する – CINRA.NET(シンラドットネット)

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いま、本当に知りたい情報はどうやったら手に入る?

「検索すれば、あらゆることがわかる」。かつて、そう信じられていた時代があった。「ウェブ2.0」という言葉が持て囃されていた10年ほど前、ソーシャルメディアが普及し、あらゆる人が情報発信に関わりはじめた。提供される情報の量が増えるほど、その質も高まっていく……、その見通しはあまりに楽観的なものだった。

当時「ググレカス」という言葉があった。ネットスラングとして広まり、2008年度版の『現代用語の基礎知識』にも収録されている。かつて「検索エンジンで調べれば(=ググれば)すぐにわかるようなことを人に質問する」ことは、情報リテラシーのない未熟な行動だと捉えられていた。「ググれ、カス」という意味合いだ。しかし10年後のいま、その状況は逆転し、もはや本来の意味をなさない言葉になってしまった。

ウェブ空間にはデブリのような無数のゴミがばらまかれている。アフィリエイト目的のスパムサイトが検索結果を汚染し、デマやフェイクニュースが横行している。有益な情報に辿り着くことが難しくなり、人々は「見たいものを見て、信じたいものを信じる」ようになってきている。そういう実感を抱えている人は、筆者以外にも多いのではないだろうか。

たとえば「脱毛 口コミ」という検索ワードでGoogle検索してみればすぐにわかる。検索結果を何ページ先まで見ても、体験談やランキングを装ったアフィリエイト業者のページが延々と並んでいるだろう。検索エンジンで調べてすぐにわかるようなことはスパムでしかなく、本当に知りたい情報は「信頼できる人や専門家に訊く」ことでしか得られない。このような状況はコンプレックスにまつわる検索ワードだけでなく、医療や学術の世界でも同じような状況にある。

検索結果は他人の欲望の集積か。検索結果のみで情報を得ることの危険性とは

「ウェブの検索結果は、他人の欲望の似姿である」。日本文化・文学研究者の日比嘉高は、津田大介との共著『「ポスト真実」の時代――「信じたいウソ」が「事実」に勝る世界をどう生き抜くか』(2017年、祥伝社)のなかで、そう指摘する。ウェブの検索結果の上位は、たくさんの人が欲しがっているものであり、検索結果のみで情報を得ることは、他人の欲望や想像力のなかに収まってしまうことだと言うのだ。

日比嘉高、津田大介『「ポスト真実」の時代――「信じたいウソ」が「事実」に勝る世界をどう生き抜くか』
日比嘉高、津田大介『「ポスト真実」の時代――「信じたいウソ」が「事実」に勝る世界をどう生き抜くか』(Amazonで見る

こうした問題は「検索」という行為の根本的な限界にも深く関わっている。他人の欲望に収まってしまう「検索」ではなく、自分の知りたいことをどう「探索」するか。現代は改めてそうした問いに注目が集まる時代だと言えるだろう。そういった問題意識を抱えていたからか、ドミニク・チェンと松岡正剛の共著『謎床』(晶文社)は、最近読んだ本のなかでも最も刺激的な一冊だった。

日本におけるクリエイティブ・コモンズの立ち上げに参加するなど情報技術の新たな領域を開拓している「IT界の異才」ドミニク・チェン。編集工学を提唱し、1970年代の伝説的な雑誌『遊』にはじまりブックレビューサイト『千夜千冊』などいくつものメディアを築いてきた「知の巨人」松岡正剛。世代の異なる二人の対話を収めた一冊だ。

松岡正剛、ドミニク・チェン『謎床: 思考が発酵する編集術』
松岡正剛、ドミニク・チェン『謎床: 思考が発酵する編集術』(Amazonで見る

「問い」が新たな「問い」へと膨らんでいく、ドミニク・チェンと松岡正剛の対話

松岡正剛は、縦横無尽な知識を蓄え、それを結びつけるということをインターネットが登場する以前からやり続けてきた編集者だ。雑誌やメディア制作だけでなく、「情報をどう扱うか」という本質的な知的活動そのものを「編集」と名付け、『知の編集術』(講談社現代新書)など、「編集」という言葉を拡張し、その方法論を論じ続けてきた。

松岡正剛『知の編集術』講談社現代新書
松岡正剛『知の編集術』講談社現代新書(Amazonで見る

それゆえ、二人の対話は縦横無尽に展開する。インターネットや人工知能といった最先端の領域に存在する未開拓の問題が掘り起こされる。そして、それが空海やプラトンやドゥルーズや世阿弥など古今東西の文化や宗教や哲学と結び付けられる。検索して得られるような最適化された「答え」ではなく、巨大な「問い」に向き合うときの思考の型のようなものが暗示される。固有名詞が頻出するので一読したときの感触は衒学的だが、何度も繰り返し読みたくなる一冊だ。

本楼にて対話するドミニク・チェンと松岡正剛
本楼にて対話するドミニク・チェンと松岡正剛

そして、読み進めるなかで非常に刺激を受けたのは、親と子ほどに年齡の離れたドミニク・チェンに対して、松岡正剛が対話を通じて「師」としての役割を徹底しているということだった。決してなにかを教え導くようなことはしない。類推と連想を繰り広げ、「問い」が新たな「問い」へと膨らんでいく。すなわち、表題通り、糠床ならぬ「謎床」がかき回されているような一冊なのである。

情報のインプットとアウトプットに携わるときの思考の「型」を身につける

こうした松岡正剛の「師」としての振る舞いは、彼が2000年にイシス編集学校を立ち上げ、その校長を長年つとめてきたということも大きいだろう。イシス編集学校とは、編集術を身につけるネット上の学校だ。そこには「守」「破」「離」と続くカリキュラムが設定されている。『謎床』の中には松岡正剛によるこんな説明がある。

私のやっているイシス編集学校には「守」「破」「離」という三つのコースがあります。「守」は三八個の編集の「型」を、ネット上の教室で学んでいく。教室には生徒が一〇人ぐらいずつ登録されていて、そこに師範代と師範がいて指南をします。それを番匠というディレクターが束ねている。eラーニングの先駆けと言ってもいいと思うのですが、すべての稽古ややりとりはネットの上で行われていきます。入門的な「守」を終えると「破」へ移ります。ここでは文章を書いたり、物語をつくったり、ハイパーミュージアムをプランニングしたり、「守」で学んだ型の応用編を稽古するわけです。
その先にもうひとつ、編集学校の案内や説明でもあえて内容は詳しく公表していない「離」というコースがあるんですね。(後略)

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先日、筆者は実際にイシス編集学校の体験講座を訪れた。そこで触れることができたのも、編集、つまり情報のインプットとアウトプットに携わるときの思考の「型」を身につける訓練だった。

イシス編集学校の体験講座を受ける柴那典

イシス編集学校の体験講座を受ける柴那典
イシス編集学校の体験講座を受ける柴那典

松岡正剛が所長をつとめる編集工学研究所の扉を開け、1階の「本楼」に入ると、約6万冊を見渡せる圧倒されるほどの本棚空間が広がっている。そこで行われたのは、様々な「お題」に即座に回答し、それに対して指南が与えられるという稽古の体験。つまり発想力や構想力のコーチングである。

イシス編集学校の説明会は編集工学研究所内の本楼にて行われた
イシス編集学校の説明会は編集工学研究所内の本楼にて行われた

2010年代の現在、私たちは日々流れこむ大量の情報にさらされながら暮らしている。「あらゆる人が情報発信に関わるようになった」SNS以降の時代は、誰もが日常的に「編集力」を試される時代になったとも言えるだろう。検索してもなにもわからない時代だからこそ、筆者のような書き手も含め、「編集術」というものをイチから学ぶ必要性を改めて感じている。




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