身体性を通じて心をデザインする!? – WIRED.jp

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長谷川ところで、テーマをつくっていくとき、デザインの場合だと新しいことを視覚化してみたりするのですが、研究室のみなさんでブレストをするとき、稲見先生はどのようにして発想のポイントをつくり出しているのか、とても気になります。

稲見きれいな絵が描ける必要はないのですが、やはり、絵になるか」と「そこに動きがあるか」は、とても重要だと思います。インタラクションがかかわる部分は何でもそうだと思うのですし、スポーツもそうなのですが、キーフレームのような絵が描けて、なおかつその間で動きが出てくるようなものは大抵いいアイデアで、さらに言うと、楽しそう」とか「おもしろそう」と思えるところが大切なんです。改めて思い返すと、あまり言葉では考えないですね。キーワードで考えると、かえってよくないのだと思います。

長谷川研究者の方々も、発想のスタートポイントは、視覚化することなんですね。

稲見あとは、できるだけ違う人が集まることが大切だと思っています。それこそ、SALAのようなものを目指しているんです。

長谷川それなんです。稲見先生は、ERATOのプロジェクトを開始するにあたって、SNSなどで「かつてあったソニーのSALAのような梁山泊をつくりたい」と仰っていただいていますが、そのSALAのことを、ぼくたちはよく知らないんです。

稲見ビフォア・インターネットの時代の話なので、残念なことにあまり資料が残っていませんからね。1990年12月、まだ、バブルが弾けたと気がついていなかった頃くらいに、SALAは誕生しました。テレビの事業部が入っていた品川と五反田の間の2階立ての建物を、学生向けに24時間開放したんです。

最初に面接はありましたが、それを通ると自由に出入りできて、最先端のワークステーション、たとえばシリコングラフィックス(SGI)のIRIS-4Dのような、数千万円するマシンを自由に使うことができました。NEWS(80年代後半にソニーが開発・発売したUNIXワークステーションシリーズ)もズラッと並んでいましたし、NeXTのMathematicaで遊んだりとか、あとはVPLリサーチ社─ヴァーチャルリアリティという言葉をつくった会社ですが─のHMDやデータグローブ、あとはPOLHEMUSの磁気センサーなどが揃っていました。

当時は非常に貴重だった3管式のプロジェクターもあって、SIGGRAPHのヴィデオも揃っていましたね。それに加えて、クッキー食べ放題、コーヒー飲み放題、シャワーも浴びられる……という場所がSALAでした。

当初はヴァーチャルリアリティを研究できれば、という話だったのですが、結果的にはその後、情報系コミュニティのコアになるような方々が集まりました。WIDEプロジェクトの宮川晋さん、プログラミング言語の千葉滋さん、音楽情報処理でいろいろ活躍されている後藤真孝さん、コミュニティ関係ですと、まさにSALAの体験が元になってニコニコ学会βをつくった江渡浩一郎さんなどがいらっしゃいました。

ただ単に「技術に興味がある」だけではなく、新しいことを学んで、自分でなにかをつくってみたいという人たちが、狭い空間に集まって、日々、ああだこうだ言っていたというのが、わたしの原体験なんです。いつかそういう梁山泊的な空間をつくりたいと思っていて、今回、ようやくできるかもしれない、というところまできたんです。

長谷川なるほど……。そもそもSALAって、なんの略だったのですか?

稲見サイエンス・アート・ラボラトリー(Science Art LAboratory)です。元々、NEWSをやっていた人たちが中心になっていたみたいです。最初は20名もいなかったのですが、最終的には40名くらいになりましたね。

長谷川ググっても出てきませんね(笑

稲見記録が残っていなくて、本当に伝説になっちゃって……。大学よりも早くsalasony.co.jpのメールアドレスがもらえたのも、すごく嬉しかった記憶があります。

長谷川インターネットへの介入、ソニーは早かったんですよ。

稲見ある日みんな「モザイクモザイク」言っていて、何だと思ったらブラウザだったという。ブラウザという概念を、当時は知りませんでしたから。バブルが弾けちゃったので仕方ないのですが、SALAがあと2年続いていたら、日本のインターネットコミュニティのど真ん中になった可能性があったと思います。しかも、あそこからスタートアップが生まれたかもしれない。タイミングが早いのとピボットするのは、別ですからね(笑。そこはビジネスの難しさですよね。

ただ、人は育ったと言えると思います。わたしはダメな方ですが、活躍されている方もだいぶいらっしゃいますから。当時は、数千万円するコンピューターや数百万円する機材が大切だったのですが、いまから思うと、それはひとつのきっかけに過ぎなくて、やはり場があったこと、一番の価値は、おもしろい人が集まっていたことだったと思います。

そうした場をいまつくるならば、おそらく「数千万円のモーションキャプチャーを入れる」ということではないと思うんです。数千万円する3Dプリンターを買ってもいいのですが、それよりは、人にコストをかけた方がいいのかなと思います。

長谷川サイエンス・アート・ラボラトリーというくらいですから、アーティストもいろいろいらっしゃったんですか?

稲見そうですね、日本電子専門学校でCGをつくっていらっしゃった野地朱真さんが、メンターとしていらっしゃいました。それで、ポツポツとSGIを触り、GLとか使っていましたね。ジュラシック・パーク』で、わたしUNIXなら使えるわ」とか言って女の子が使い始めるシーンがあるのですが、あれ、SGIのIRIXなんです。映画を観ながら、そのボタンを押すことを、UNIXを使える』とは言わない!」とか思えたのも、SALAのおかげです(笑

SALA出身の人たちは、ああいう場があり、人が集まれば、新しい発想が出てくる……という確信をもっているので、会うと、ああいう場所をつくりましょう」という話に必ずなります。そういう意味では、SALAの思想は受け継がれていると思いますし、拡散していけるかもしれない、という気がしています。




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