半導体リストラ技術者集め世界へ コネクテックジャパン – 日本経済新聞

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 宿泊荷物を積んだ車で全国を回る日々を創業から8年間続ける。「取引先の途中に訪問したい会社が多数あるから車が便利」。コネクテックジャパン社長(新潟県妙高市)の平田勝則氏(53)は、よく響く声で話す。知識ゼロで半導体の世界に飛び込み約30年。低温実装やデスクトップサイズの製造システムで注目を集める。小説「下町ロケット」が起業の原点だ。

■「下町ロケット」に涙して

全国の取引先回りや海外出張で自宅に帰るのは年間で数日だけ、という平田社長

全国の取引先回りや海外出張で自宅に帰るのは年間で数日だけ、という平田社長

 東京・西新宿に育ち、父はプロボクサーだった。小学2年生で親戚がいる新潟へ。「将来は商社マン」の夢を抱いたが、家庭の事情で大学進学を断念。富山の医薬品商社で働き始めた。

 それでも「世界に出たい」思いは募り、松下電子工業(現パナソニック)の新井工場(妙高市)が開設されると「半導体で世界を目指せる」と入社した。知識も経験もなかったが、エリア採用の現場作業員から実績を積み、大阪本社の管理職になった。米シリコンバレーを頻繁に訪問。数千億円規模の新事業にも携わり、40代半ばまで仕事が楽しかった。

 だが2008年9月のリーマン・ショックで半導体の業況が悪化。人員削減に反対の平田氏も最終的に「リストラの片棒を担ぐ」ことになった。組織のためとわかっても次第に疲弊していった。

 週刊誌で下町ロケットの連載が始まったのはそんな時期だった。経営者が社員と奮闘する姿に「やはり人が大切」と共感。リストラ業務が一段落したころ、連載が近く終了と知り、「最終回は今の立場を離れて読みたい」と退社を決めた。

 改めて世界を見ようと訪れた米西海岸には、下町ロケットの最終回が載った週刊誌を未開封のまま持参。シリコンバレーに向かう途中、野球場の裏に車を止めて読んだ。愚直にものづくりに取り組む登場人物たちの姿に涙が流れた。「もう一度勝負しよう」。起業を決意した。

 4カ月で地球を7周回り、世界中の技術者と対話した。あらゆるモノがネットにつながる「IoT」の原型の開発が始まり、同世代の技術者は沸き立っていた。その姿から勇気を得た平田氏は帰国後、国内の技術者と会い、日本のものづくりの強さを確信。「戦える」と判断して09年11月、妙高市で創業した。

 新潟・上越地方から長野に続くエリアは半導体の後工程の材料、設備など約2000社が集積する。「グローバルに向かうローカルの強さ」が創業の地の決め手になった。かつて半導体工場で働いた多くの仲間が技術を生かせず別の職場で働く姿に「地域発で日本を変えたい」とも思った。




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