笠岡駅の鉄道考古学 – 山陽新聞

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双頭レールでできた旅客上家3号の支柱=笠岡駅2番・3番ホーム

双頭レールの断面=笠岡駅旅客上家3号

旅客上家2号。写真一番奥の支柱がイリノイ・スチール製レール=笠岡駅1番ホーム

イリノイ・スチールのレールに陽刻された山陽鉄道会社のマーク=笠岡駅旅客上家2号

伏越踏切の横にある山陽鉄道会社の境界杭=山陽線里庄・笠岡間

笠岡駅から瀬戸駅を経て移設された鋳鉄製跨線橋支柱=山陽線熊山駅

井笠鉄道の線路跡=笠岡駅から徒歩5分ほどの所

 岡山県立図書館で『ひらけゆく笠岡』(笠岡市教育委員会、1960年)を手にした。そこには11月1日付小欄で紹介したように、山陽鉄道の線路が大磯海岸を埋め立てて敷かれたこと、笠岡駅が笠岡湾の北部を埋め立てて建てられたことのほか、笠岡駅舎の履歴も記されていて興味深い。どうやら、開業した1891(明治24)年頃の岡山・笠岡間を走っていたのは旅客列車だけで、1903(明治36)年になって荷物取扱所が増築され、1914(大正3)年頃には駅舎も建て替えられたようだ。

 『目で見る井原・笠岡の100年』(郷土出版社、2000年)に載せられた大正時代中期に写された「笠岡駅」の写真には、跨線橋(こせんきょう)が造られたのは1913年だという説明書きがある。跨線橋はその後、瀬戸駅を経て熊山駅に移設されたというから、鐵道院時代の1912(明治45)年、横河(よこがわ)橋梁製作所が製造した跨線橋支柱はその翌年、笠岡駅に設置されたことになる。古写真のプラットホーム擁壁は煉瓦(れんが)造りだ。現在の擁壁の中には明治時代の煉瓦が潜んでいるのだろうか。

 笠岡もまた、古レールを再利用した構造物の多い駅で、2番・3番ホームの「旅客上家3号」の支柱には双頭レールが使われている。建物資産標に「大正15年3月」と書かれているから、建物資産表の見当たらない金光駅の、双頭レールが使われている旅客上家もあるいは同じ頃の建造だろうか。1番ホームでは、イギリスのボルコウ・ボーンやドイツのウニオンと共に、アメリカのテネシーとイリノイ・スチールのレールを確認することができる。1959(昭和34)年に設置された「旅客上家2号」の、一番大門側の支柱を見ていただきたい。イリノイ・スチール製レールに、山の形を重ねたような山陽鉄道会社の印を見つけることができるはずだ。

 山陽鉄道会社の印は、昨年10月15日付小欄で紹介した笠岡駅里庄側に点在する境界杭(用地界標)にも刻まれている。山陽鉄道会社の境界杭は、熊山駅と金光駅の鋳鉄製跨線橋支柱と共に、西日本旅客鉄道の登録鉄道文化財にノミネートされている。笠岡駅の古レールと、里庄側の境界杭も文化財的、鉄道史学的に再認識されるべきだ。

 笠岡駅はかつて、軽便鉄道ファンの一大聖地だった。1913年から1971(昭和46)年まで、マッチ箱のような車両を走らせた井笠鉄道の起点だったのだ。一つ井原側の籤場(くじば)駅にあった機関車庫は既にないが、新山(にいやま)駅を再利用した笠岡市井笠鉄道記念館には往年の車両や転車台、資料が展示されているし、笠岡駅南の交通公園などにも気動車や蒸気機関車が静態保存されている。笠岡駅の井笠鉄道乗場跡から廃線跡を歩き、軽便時代の風情に浸るのも産業考古学的価値の高い試みだ。

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 小西伸彦(こにし・のぶひこ) 吉備国際大外国語学部外国学科准教授。専門は産業考古学と鉄道史学。著書に「鉄道遺産を歩く 岡山の国有鉄道」「みまさか鉄道ものがたり」(ともに吉備人出版)など。1958年総社市生まれ。香川大経済学部卒。




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